マリリン・モンローの死因は?暗殺疑惑の真相は?

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芸能ブログライターのkomichiです。

今回は、未だにナゾとなっている「マリリン・モンローの死因は?暗殺疑惑の真相は?」です。

セクハラ疑惑で揺れているハリウッドで、セックスシンボルの象徴として君臨していた色気たっぷりのマリリン・モンロー、彼女の死は暗殺疑惑に満ちていますが、真相はいったいどうなっているのでしょうか?

死因も含めて、マリリン・モンローについてこの記事ではまとめてシェアしていきます!

マリリン・モンローの死因は?

マリリン・モンローの死因について見ていく前に、どんな女性だったのかご紹介しましょう!

1926年6月1日生まれで、亡くなったのは1962年8月5日です。

アメリカ合衆国の女優&モデルで、ロサンゼルスで生まれ育ちますが、幼少期のほとんどを、孤児院か里親のもとで過ごしました!

ですが孤児ではなく、母親と父親違いの7歳年上の姉がいました!

マリリン・モンローの母親は、映画会社のRKOでフィルムカッター仕事をしていたのですが、精神病を患ってしまい、母親の親友のグレース・マッキーがマリリンの保護者になりました。

1935年にマッキーが結婚したため、孤児院に送られ、その後ネグレストや性的虐待をする養家に連続して送られたという過去を持っています。

当時のアメリカは、里親には援助金が支給されていたため、これ目当てで里親になる人もいたため、マリリン・モンローはたらい回しにされるように育ったそうです。

この経験から吃音症を患っていたようです!

マリリン・モンローの本名は、ノーマ・ジーン・モーテンソンで、第2次世界大戦のさなかの1942年の16歳のときに、最初の結婚をしています!

相手は、母の家の近所に住んでいたジム・ドハティで、航空機製造会社の整備士として働いており、後に海軍に徴兵されてしまいます。

一人になったマリリン・モンローは、航空機部品工場レイディオプレーン社に就職し、自活する道を歩み始めました!

1949年、第2次世界大戦が末期に入った19歳のときに、陸軍から取材に派遣された報道部員のデビット・コノバー一等兵に見出さ、れ写真を撮られます。

これが陸軍の機関紙「ヤンク」に掲載され、それを見た商業写真家のポッター・ヒューズに、カバーガールになることを勧められます

工場を辞めて、マリリン・モンローは「ブルーブックスス・モデルズ・エージェンシー」というモデルクラブに応募し、モデルとしての教育を受け、ロサンゼルス博覧会のコンパニオンの仕事をします。

その後、髪をゴールデン・ブロンドに染め、セクシー路線を歩んでいきます。

1946年、20世紀フォックスのスクリーンテストに合格、「マリリン・モンロー」という芸名で契約を結びます!

夫のジムは、モデル業に理解を示すことが出来ず、4年で二人は離婚をしています!

芽が出るまでは、なかなかチャンスを掴めず、一時期はヌードモデルをやりながら女優の夢を叶えようと奮闘します!

マリリン・モンローが注目を集めるようになったのは、1953年に出演した映画「ナイアガラ」です。

腰を振って歩くモンロー・ウォークをしたことで、世の中の男性の注目を集めます!

これに続いて「紳士は金髪がお好き」「百万長者と結婚する方法」「七年目の浮気」が大ヒットし、トップスターとなりました!

1954年1月14日に、元メジャーリーグベースボールの、ニューヨークヤンキースに所属していた、ジョー・ディマジオと結婚、日本の読売ジャイアンツからの招きもあって、二人は新婚旅行で日本にやってきて大歓迎を受けます!

3週間日本に滞在し、ジョーは野球指導などを行い、夫婦は東京、静岡、福岡、広島、大阪を周りました。

マリリン・モンローは新婚旅行中に、朝鮮戦争で駐留していた在韓米兵を慰問してほしいという依頼を受け、暇を持て余していたので快諾しましたが、夫は行くなといいました。

それでも言うことを聞かず韓国へと向かいました!

1955年、マリリン・モンローはジョーと結婚9ヶ月で離婚、セックスシンボルを脱するためにニューヨークに移り住み、見事脱却していきます!

1956年になると、劇作家のアーサ・ミラー結婚しましたが翌年には関係が悪化、そのためマリリン・モンローは精神的に不安定になり睡眠薬を飲みすぎたりし、精神病院に入院、この頃に流産を経験しています!

1961年に離婚、この頃、家政婦のレナ・ペピートーンの証言で、マリリン・モンローは1956年頃からケネディの妹の夫「ピーター・ローフォード」の紹介で、「ジョン・F・ケネディ」と出会い、その後肉体関係があったことを暴露されています!

1962年に、マリリン・モンローは36歳で没。

ロサンゼルスの自宅で、全裸で死亡しているのをメイドが発見、死因は睡眠薬の大量服用による急性バルビツール中毒で、自殺だったと表向きには言われています!

死因に関しては、未だに謎に包まれていますが、自殺ではなく真相は暗殺だったのではという噂も根強くあります!

マリリン・モンローの死因に関して、自殺説に関しては、次の資料が出てきたので疑問視されています!

真相に関しては、次の章でご紹介しましょう!

自殺?暗殺疑惑の真相は?

2000年に、20世紀フォックスの倉庫から、マリリン・モンローを復帰させる動きがあったことが記された書類などが出てきました!

「何という行き方」というミュージカル大作への出演も決定していたことも分かっており、死因が自殺ではという説は、真相と違うのではといった話になっているようです。

何故なら、これらの仕事が決まっていたのに、「マリリン・モンローが配給会社から見捨てられ、失意の中で自殺をした」という仮説が成立しないからです!

だからこそ、死因は暗殺ではという噂が根強くあるのです!

当日の様子を、まずはご紹介していきましょう!

当時のマリリン・モンローは、精神的に不安定で、狂言自殺を行っては誰かに電話で助けを求めることもあったといいます。

1962年8月5日の午前3時30分に、家政婦がマリリン・モンローの寝室に電気が付いていたのでノックしたところ反応がなく、家の外に出て部屋の中を覗くと、マリリン・モンローが倒れているのを発見!

すぐにかかりつけの精神分析医のグリーソン医師を呼び、10分後にやってきたグリーソン医師が遺体を発見!

同じくマリリン・モンローの主治医だったエンゲルバーグ医師も到着し、死亡を確認して警察に連絡をしました。

その時の様子です↓

実は前日にグリーソン医師は彼女の元を訪れており、友人のパトリシアや、ロバート・ケネディ司法長官(ケネディ大統領の弟)も訪れており、その後18:30分頃にすべての来客が帰っていきました!

暗殺疑惑が消えないマリリン・モンローの死の真相には、不可解な点が多く、彼女は裸で寝ることも、カーテンを開けっ放しにする習慣もなかったのに、その日に限ってそのような状態だったこと、実は、20:00頃に寝室に入ったのですが、このときにマッサージ師に電話をかけており、不在だったので留守番をしていた人が電話を受けています。

※ 有名な言葉に、夜寝るときは何を身に着けているのかという質問に、シャネルの5番を5滴だけ付けて寝ると発言していますが、どちらが本当なのか謎です!

この時の通信記録も残っておらず、日記代わりにしていた赤い手帳が消えていたことなど、おかしなところがてんこ盛りなのです!

死因が自殺というのはなんとも不自然で、5日後に行われた検死結果では、死因が「バルビタール剤(睡眠薬の一種)の飲み過ぎによる急性中毒で、彼女の血液100gの中から4・5ミリグラム、肝臓から13ミリグラムのバルビタール剤が検出されたので、死因は自殺の可能性が高い」という発表がされ、現在でも公式にはこれが死因の真相だと言われています。

ですが、マリリン・モンローが亡くなった朝、検視官が彼女の胃を調べたときには、バルビタール剤を飲んだときに出る屈折性結晶は検出されていません。

さらに、腎臓や消化器官にも薬を飲んだ痕跡はなかったのです!

仕事上の理由で、彼女が自殺する理由は、これらの事実から見つからないため、実は真相は暗殺ではという説が根強いのですが、その理由についてここからご紹介していきましょう!

すでに書いたように、ケネディ大統領の妹の夫からケネディを紹介され、夢中になったのはマリリン・モンローだと言われています。

二人の関係はどんどん深まり、マリリンはファーストレディーを夢見るようになりますが、数多くの女優と浮気をしていたケネディにとっては、その中のひとりにしか過ぎませんでした!

あまりにもケネディに夢中になった彼女は、ホワイトハウスに電話をかけたり、ケネディの妻に別れてくれと頼んだといいます!

そんなある日、FBIのフィーバ長官から、ケネディに警告がありました。

マフィアが二人のセックスを録音していて、大統領を脅すネタを探しているというものでした!

さまざまなことが絡み、ケネディはマリリン・モンローと別れることを決意、その後無視される形となった彼女は精神不安定がさらにひどくなり、二人の関係をマスコミにばらすと脅すようになりました!

そんな彼女を説得したのは、ロバート・ケネディでしたが、あまりにも彼女に同情し、結果的に二人は肉体関係を持ってしまいます。

マリリン・モンローの死因の真相に関しては、1991年に「ダブル・クロス」という書籍で暴露されています。

これを書いたのは、アメリカのマフィアのボスの「サム・ジアンカーナ」の弟のチャックと息子のサムです!

この書籍に書かれた内容は次のものです!

マリリン・モンローは自殺したのではなく、真相は暗殺!

しかも、マフィアに暗殺を依頼したのはCIAです。

彼女は、国家機密を、ケネディを通して多く知っていたことなどが暗殺された理由になります。

彼女の死因は一般的に自殺とされていますが、これらの理由から真相は暗殺ではという根強い噂が現在でも残っているのです!

マリリン・モンローに子供はいるの?現在の行方は!?

36歳の人生の中で、3度の結婚をしましたが、マリリン・モンローに子供はいたのでしょうか?

性的虐待を受けていた15歳のときに、彼女は妊娠し出産をしたと言われています!

このときに生まれた子供は女の子で、里子に出され、その後の行方は分かっていないようです。

その後、俳優志望の男性と同棲し妊娠しますが、女優を目指していたため中絶手術を受けます。

以後、何度も中絶手術を受け、わかっているだけでも13~16回は受けたと言われています!

そして、34歳のときに、彼女は当時の夫の子供ではなく、イタリア人俳優のイヴ・モンタンの子供を妊娠します!

この子は、生まれること無く亡くなったといいます。

流産だったのか、中絶だったのかは分からないと言われていますが、すでに書いた通り、アーサ・ミラーと結婚していた時期なので、流産だったといわれています。

komichiの見解とまとめ

ここからは、マリリン・モンローの記事をまとめた、komichiの見解を僭越ながら書いていきたいと思います!

とにかく、彼女の人生の波乱万丈状態に驚きますし、人生には陰と陽があるとは言われますが、ここまでくっきり、ばっちり、はっきりと陰陽が分かれている生き方も珍しいと強く感じました!

彼女の月星座は水瓶座、一般的には太陽星座で占いますが、月星座はその人が内側に本来持って生まれた性質を表しているそうです!

水瓶座のテーマは、古いルールを壊し誰も見たことがない世界を作り出すこと!

セックスシンボルとして君臨したマリリン・モンローは、まさにこれを成し遂げた人物でもあります!

そして、水瓶座は、友達の星座と呼ばれていて、誰をも惹きつける魅力の持ち主と言われています。

この星座は、世界を今よりももっと良くしたいと考え、今あるルールや体制と戦うタイプ。

まさに彼女が生きた生き様に似ている性質を持っていたマリリン・モンローは、その体制によって結果的に暗殺され、死因は一般的に自殺になっていますが、真相は実はCIAという体制によって抹殺されたとも言われています。

そんな面からマリリン・モンローの人生を見ていくと、性質通りに生きた人物なんだなと思わずにはいられませんし、ケネディ大統領を本気で愛した理由も見えてきます。

彼女がもし、ファーストレディになっていたら、あの時代から歴史が変化していた可能性があるという意味においては、まだ時代や体制が彼女の能力を扱うには古すぎた、動かなすぎたと受け止める事もできます!

そして、実は彼女は性的に女性を好きになるという性質を持っていたとも言われていますから、非常に自由度の高い女性だったことが、これらの情報からよく分かります。

世間的にはセックスシンボルとして見られていたようですが、これはあくまでもマリリン・モンローの戦略で、本人はいたって自然体な女性だったと言われています。

そういえば、もう数年前から、マリリン・モンローが受けていたというマッサージで使われたオイルを使用していますので、この記事にたどり着いてくれたあなたに、どんなものか情報をシェアしていきます!

「オーラグロウ」という名前のオイルで、アイ・ハーブというアメリカのネットショップで購入できます!

このオイルにローズを混ぜたものを使い、彼女はマッサージでを受けていたと言われています!

これは、名前の通り使うとオーラが輝くと言われるもので、処方したのはエドガー・ケイシー、マリリン・モンローが通っていた治療院がNYにあり、ハロルド・ライリークリニックといいます。

ここでオーラグロウを使って施術を受け、輝くようなあのオーラを身にまとっていたと言われています。

気になる人はチェックしてみてください!

そして、2017年にハリウッドは、セクハラ問題がようやく明るみに出るようになり、それらの行為をした人たちが追放されるなど、時代の大きな変化が起こっていますが、マリリン・モンローが生きた時代のハリウッドは、もっと凄かったのだろうと思うと、彼女が精神を病んでいった背景がよく分かります!

2018年1月7日には、アカデミー賞の前哨戦と言われている「第57回ゴールデン・グローブ賞」の授賞式で、セクハラ問題に対する抗議として、なんと華やかなドレスを身に纏うはずの女優たちが、黒いドレス姿で姿を現すという講義の表明を決行!

数多くのセクハラをした人たちが告発され、芸能界だけでなく、財界やスポーツ界へもその波は広がっています!

個人的にも、本当に数多くのセクハラ、パワハラに耐えた経験があるので、この様子をテレビで眺めながら、ものすごく心の中で大大応援をしていました(しかもジムで筋トレをしながら・・・笑)。

いい時代になった、思わずそう叫びそうになり、涙がこみ上げてきたのですが、マリリン・モンローの時代は、もっとひどかったのだろうと想像すると、本当に彼女の心の痛みが伝わってきて共感せずにはいられません。

確かに、マリリン・モンロー自身も、そのセクハラを逆手に取って、スターの座へとのし上がったと本人も語ったようですから、当時は男性の力を借りなければ、生き抜くことは難しかったという事実を考えると、仕方がない一面でもあったのだろうと推測できますが、病んでしまうのですからやはり無理があったんだろうと考え、その心理に思いを馳せると本当に辛かったのだろうと感じられ、なんとも言えない気持ちになります。

心と体は、特に女性という性を持って生まれた人にとっては、かなり繋がっているため、割り切りが出来なかったのだろうと感じられます。

それにしても、マリリン・モンローの人生は輝くようなスターとしての一面があったけれど、私生活はかなりしんどい人生だったことは否めません!

穏便になにも起こらない人生もつまらないけれど、あまりにも乱高下する生き方もしんどいと感じます。

ただ、情報を調べてまとめるプロセスで強く感じたのは、マリリン・モンローは非常に内面的にも魅力ある女性だったのだなということです!

これほどまでに過酷な人生の中だったからこそ、あの輝くような笑顔を表現できたと考えると、複雑な気持ちにもなりますが、それが彼女の人生だった、そう納得せざる得ない生き様に、2018年現在でも人々の記憶から薄れない理由も垣間見えるような気持ちになりますが、あなたはマリリン・モンローについて、どんな印象を持ちますか?

※ セクハラ問題に関する個人的見解ですが、誰にでも間違い、そしてその役割をやることによって、結果的に社会を変えていくきっかけを作ってくれる力となることは世の中に多々ありますので、日本人が昔から言っているように、「罪を憎んで人を憎まず」という考えが大事だと思っていますが、あなたはどう思いますか?

今回は、マリリン・モンローの死因は暗殺なのか、真相についてまとめてシェアしていきました!

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