芸能ブログライターのkomichiです。
今回は、現在話題となっている「愛子さまが激やせで別人に?不登校の真相は?」です。
2016年12月1日で15歳になられた愛子さま、なんでも、夏頃から激やせではと言われるようになり、別人のようになったとか、不登校で学校へ数ヶ月通っていないということが発覚し、マスコミなどを賑わせたようですが、一体どんな理由があってそんな状態になってしまったのでしょうか?
どんどん成長される、愛子さまのこれらの情報の真相についてまとめていきます!
愛子さまが激やせで別人に!?可愛くなった?
まずは簡単に、愛子さまのプロフィールをご紹介していきましょう。
愛子さまは御存知の通り、皇太子ご夫妻の長女として誕生されました。
2001年12月1日生まれで、正式名称は敬宮愛子内親王(としのみやあいこしんのう)で、お印はゴヨウツツジになります。
愛子さまのお名前は、今上天皇から命名され、名称と称号の由来は、孟子の「仁者は人を愛し、礼あるものは人を敬う。人を愛するものは人恒に之を愛し、人を敬う者は、人恒に之を敬う」に拠るということです。
皇太子同妃と学者が相談されて名前を内定、天皇も皇太子と同妃の意向を尊重し、愛子さまと名付けられました。
お印のゴヨウツツジは那須御用邸でも5月に咲く花で、皇太子ご夫妻が「この純白の花のような純粋な心を持った子供に育って欲しい」という願いを込めて決められました。
愛子さまが生まれた翌日には、皇居前広場で祝賀の、国民の集いが行われ、2万5000人もの人が集まったのです!
誕生後、メディアに登場することを控えたことから、「発達障害ではないか」という憶測が飛び交い、2004年には海外メディアを中心にこの情報が流れたことから、同年6月になると、林田英樹東宮大夫は「事実無根で不本意」だと否定しました。
幼少期の趣味の一つが相撲観戦で、力士の名前などを全部覚えていたりと、かなり興味津々だったと言われています。
愛子さまは小学生の頃から、東宮御所で一緒に暮らしている犬や猫をかわいがっていて、2016年9月には、動物病院から雄の保護猫を譲り受け、セブンと名付けて一緒に暮らしているようです。
犬の名前は由莉(ゆり)、先住猫はミーという名前です。
運動神経が良いことで知られていて、運動会では度々リレーの選手に選ばれるほどなんだとか!
愛子さまの祖父の今上天皇はテニスを、父である皇太子さまも、ジョギングを楽しまれたりするので、遺伝なのではと思われます。
どんどん成長されている愛子さまの、簡単なプロフィールをご紹介しました。
それでは、激やせで別人という情報についてまとめていきましょう。
2016年8月11日に、上高地で行われた「第一回山の日記念全国大会」に出席され、そのときに、愛子さまをご覧になった多くの方が、激やせしたほど細くなったと感じたようです。
こちらの、15歳の誕生日のときの写真などをご覧いただくと、かなり成長された愛子さまが激やせしている姿が見られます。
疲労が重なり、胃腸にも障害が出たため、食事を摂取しにくくなったことも、どうやら激やせに繋がったようです。
ただ、個人的見解になりますが、一気に身長も伸びていますので、激やせをして別人になったというよりも、成長した結果、変化したというのも真相の一つではと思いますが、あなたはどう感じますか
母親の雅子様にどんどん似てきているなと感じられるだけでなく、あどけない子供の様子から、思春期で一気に成長され、女性らしい美しさも出てきて、隣に座っている父親の皇太子さまが、娘の成長した姿を嬉しそうに見ている様子が微笑ましく感じられます。
激やせという、いわゆる不健康な感じは一切見受けられませんし、まさに思春期の急成長で、どんどん容姿が変化して別人のように見えるという感じでもあります。
女の子ですから、まだまだこれからどんどん変化していきますから、どんな女性に育っていかれるのかご両親も楽しみなのではないでしょうか?
個人的には、スラリとした姿になり、激やせというよりも、すっと身長が伸びたなと感じますし、可愛くなったとも思いますが、あなたはどう感じますか?
15歳の誕生日を迎えられたときに公開された写真などを見て思いましたが、体型が祖母の美智子皇后に似ているようですから、意外と華奢なタイプではないかと思います。
成長期と、本来の骨の細さなどが相まって、余計に激やせして別人に見えるような状態になったのではないかという推測も出来ます。
美智子皇后と愛子さまを見比べてみましょう!
若い頃から本当にお美しいという言葉がピッタリの愛子さまの祖母でもある美智子皇后は、こんなにも華奢でスリムな体型です。
15歳の愛子さまの写真と見比べると、愛子さまは洋服の上から見ても分かるほど、腕がどうやら細いと感じられます。
頬のあたりから口元にかけても、すっとした顔だちに成長され、これもまた激やせで別人なんて言われるものだと思われますが、真相は、特別なんらかの病名がつくような状態でもないと言われていますので、確かに子供だった愛子さまから比べたら、別人のように見えるのですが、お忙しくて疲れが溜まったことだけでなく、それもこれも、全部成長という言葉に集約されてしまうのではないかと思います。
そして、ほぼ2ヶ月ほどの不登校だったのですが、この間学習院ではある光景が見られなくなったといいます。
それは、毎朝校門前に警官が立つという光景で、愛子さまのために、常にこのような状態で守っているそうです。
そのため、意外と根強い噂となっているのが、愛子さまに影武者がいるのではといった話なのですが、その情報に関しては、こちらで記事にまとめてありますので、興味のある方はご覧いただければ幸いです。
愛子様、不登校の真相は?上智大学をご志望?
ここからは、愛子さまの不登校の真相についてや、今後の進路についてまとめていきます。
まずは、一体何が起こったのかをまとめていきます。
愛子さまは、2016年9月16日から学校へ不登校となったことが話題となりましたが、このときは、2学期のテストなども欠席されてしまい、4週連続の欠席となりました。
実は9月の下旬から、ふらつきなどの症状が見られたため、大事をとっての欠席だったようです。
調べてみたところ特に病名がつくような体の状態ではなかったようで、胃腸が弱っていることや、疲れによるものだろうと診断されたようです。
11月上旬からは、体調をみながら徐々に通学を続けていき、現在ではほぼ平常どうりに学校へ通っています。
不登校の理由のひとつが、胃腸の弱まりがあり、そのため、お昼時間を避けての登校などを行っていたようです。
まず、2016年の愛子さまの1年間を振り返って、疲労が溜まるほどお忙しかったのかどうか見ていきましょう。
1月には長野県奥志賀高原スキー場で、スキー教室に参加、3月には両殿下と共に一緒にスキーを楽しみ、3月11日には、東日本大震災5周年で黙祷をされ、中旬には女子中高等科の送別学芸会があり、4月になると中学3年生になり、さらに学業に専念されるようになりました。
4月中旬になると、「第30回オール学習院の集い」では初等科の管弦楽部のOGとして演奏に参加、下旬には球技大会があり、ソフトボールを選んだ愛子さまはその練習などもありました。
練習は学校から戻っても赤坂御所内で、皇太子ご夫妻や職員と共に行い、5月上旬には修学旅行があり、広島へ行き、7月21日には宮内庁が管理する、奈良県橿原市にある神武天皇陵を初めて参拝し、8月には公務に参加、9月下旬に体調を崩すまでは、皇太子とともにジョギングを楽しんだり、両親と共にテニスもしていたんだとか。
学業も大変な時期なのに、これほどの変化が起こったのですから、繊細な思春期の女の子でもある愛子さまの体が疲れをためてしまうのも、当然だと思うようなスケジュールで動いていたようです。
これだけの距離を移動しているのですから、大人でも疲れます、しかも、まだ15歳のホルモンバランスも整っていない愛子さまの年代の女の子にとっては、かなり体への負担がかかったことはこれらのスケジュールを見ても理解できます!
個人的経験ですが、学生生活を卒業し、社会人になって、男性の体力で作られた会社などで働くようになったとき、体調が不安定になった経験をしてきましたが、女性にとっては、あまりにも忙しすぎる、子宮のや女性ホルモンの声を無視するような生活スタイルは、あまり合っていないと学びからも理解してきたので、今後は学業もますます大変になってきますから、愛子さまの体調を考えて、周囲の方々もスケジュールを管理していただければいいなと思います。
これでは体調を崩してもおかしくはないとは思いますが、このような理由から、激やせで別人になったとか、不登校になったという話になったようです。
11月28日の1時限目から、2ヶ月ぶりに愛子さまは不登校と言われた状態から、学校へと登校され、体調は一進一退だったようで、徐々に復学していきました。
繊細な時期ですから、体調が戻るのに時間がかかったようですが、健康を取り戻し、現在は学校へと復帰をされたようです。
これらの理由から欠席をされていたので、不登校という言葉は不適切であり、体調悪化による欠席のほうがより真相に近い言葉使いになるかと思います。
それでは、来年には高校へと進学される愛子さまは、この後どのような人生を選択されていくのでしょうか?
進学する大学は、現在在籍している学習院ならば、そのまま学習院大学へと進学をエスカレーターでしていくことになりますが、実は宮内庁関係者からは、次のような話が出ているようです。
「愛子さまは上智大学への進学を希望されている」
どうしてこのような話が出てきたのかというと、次の理由があるからです。
実は少し前から、愛子さまは家庭教師をつけて勉学に励んでいるそうです。
その家庭教師が、上智大学出身の英語が堪能な方だそうで、勉強の合間に、上智大学の校風やカリキュラムについて色々と話を聞いていて、とても興味をもっているというのです!
高校は、このまま学習院に通い、その後大学受験を受けて上智大学へ進学される可能性があることを関係者が明かしているようです。
他にも関係者からは、以前から雅子様が愛子さまの進学大学について、ハーバード大や東大をお考えであるという情報も出ていますが、上智大学であるならば、雅子様も後押しされる可能性があるのではとも言われています。
そもそも、愛子さまが進学する大学を学習院ではない別の大学にする理由に、埋められない学習院との溝が関係しているという話も出ています。
幼少時代、初等科時代はいじめがあり、中等科に進学した後は、不規則登校など、色々とあったのです。
その間、学習院側の、愛子さまを特別扱いしすぎる対応や、問題が起こったときの対処が遅いことなどで、雅子様も不満を漏らしたこともあると言われています。
このような状態での学生生活だったことなども、大学は別のところへという思いへと繋がったという報道などもされています。
それでは、愛子さまが進学を希望している上智大学とは一体どんな大学なのかご紹介していきましょう。
東京都千代田区紀尾井町に本部がある、日本の私立大学になります。
1928年に設置されていて、9学部と、11の研究科があります。
世界最大の教育機関運営組織になり、全世界に290万人の在校生がいて、カトリック修道会のイエズス会が開設した大学になります。
カトリックとはほぼ無縁の生徒や教員も多く、次の3つの教育精神を掲げています。
● 他社のために、他社と共に生きる
● 学際的なネットワーク
● グローバル社会に対応できる能力
上智大学と言えば、語学を重要視している大学だと多く人が答えるのではないかと思いますが、留学生や帰国学生、外国人教員、留学経験者が多いことでも知られています。
1957年までは男子校だったのでバンカラな校風だったようですが、心理学や福祉関係分野に強い大学になります。
愛子さまも興味を持たれているという上智大学は、16世紀に、フランシスコ・ザビエルが日本へ来日したときに、日本の首都へ大学を作りたいと意志をローマへ書き送っことがきっかけであると言われています。
1908年に日本へ大学を建設するために、3人のイエズス会員が来日、1911年に財団法人上智学院を設立、1913年に専門学校令によって大学が開校されました。
校章は鷹を形どったものになり、「心理の光を目指して力強く羽ばたく姿を表しています。
スクールカラーは臙脂(えんじ)色になります。
英語力が高いと言われる愛子さまは、語学をもっともっと学びたいという考えがあると言われていて、これも上智大学への進学を希望しているのではといった情報に繋がっているようです。
あと3年後、どちらの大学へ進学するのか、注目が集まるところだと思いますが、今はまだはっきりとしたことは分からないようです。
15歳になられた愛子さまの現在
徐々に学校へ復学をしていった愛子さまは、すでにご紹介したとおり、12月1日に15歳に誕生日を迎えられ、元気な様子を写真や動画などで披露しました。
皇太子ご夫妻からは、学習のアドバイスを受けることもあり、予習や復習に余念がないと言われています。
現在は、学校へも完全に復学し、すでに書いている通り、2016年9月に、動物病院から譲り受けた猫(セブン)と、以前から一緒に暮らしている犬の由莉、猫のミーと共に、可愛がっていると言われています。
ますます学業も忙しくなり、今後どのような進学先を選ぶのか注目されていますが、健康を取り戻して、文化祭にも楽しく参加されたようですから、無理をされない限り、体調がこれ以上悪化することはなさそうです。
まだまだ多感な思春期ですから、無理のないよう、公務にも参加されながら、学生生活も楽しんでいただければと思います。
今回は、「愛子さまが激やせで別人?不登校の真相は?」をお届けしました!