ダイアナ妃の事故は暗殺!?真相は?

               

芸能ブログライターのkomichiです。

今回は、現在話題となっている「ダイアナ妃の事故は暗殺!?真相は?」です。

ダイアナ妃が亡くなったのは1997年でしたから、あれから2017年でジャスト20年になるのです!

パリで交通事故で亡くなってしまったのですが、実はダイアナ妃の事故は暗殺ではないかという説がまことしやか流れているのです。

真相は一体どんなものなのか、20年前にいきなりこの世を去ったプリンセスの事故について情報をまとめていきます!

ダイアナ妃の事故の原因は?

まずは、ダイアナ妃の事故の原因を見ていきますが、その前にプロフィールを簡単にご紹介していきましょう!

ダイアナ妃は、ウェールズ公妃ダイアナ、全名がダイアナ・フランセスで、旧姓はスペンサー、1961年7月1日生まれなので、生きていればまだ56歳ですから若い死だったことがこれで分かります。

イギリスの貴族で政治家の父、エドワード・スペンサー(第8代スペンサー伯爵)と、その夫人のフランセスの間の三女として誕生したダイアナ妃の両親は、彼女が8歳のときに離婚、親権は父親が持ち弟とともに育ちました!

寄宿学校で成長していきながら学校に通っていましたが、1975年に父親がスペンサー伯爵位を継承したことで姫、令嬢という称号を得ます!

勉強はまったく出来なかったそうですが、とても心優しい少女で、小さい子が大好きで、すぐに仲良くなることが出来たといいます。

学校の近くにあった施設にお世話によく通っていたそうで、ダイアナ妃が通っていた「ウェスト・ヒース校」で、社会福祉活動の功績を讃えられて「ミス・クロース・ローレンス賞」を贈られています。

プリンセスになる前から、慈善事業に興味を持ち実際に実践していた心優しい少女だったことが、これらのエピソードでよく分かります。

そして、夫となったウェールズ公チャールズと初めて出会ったのは、姉が交際していた頃でした。

そう、後に夫となったチャールズ皇太子(当時)は、最初は姉の恋人でした!

その後再会し1980年に交際が始まり、1981年2月に二人は婚約、同年7月29日にセントポール大聖堂で挙式しました!

1982年6月21日に第一子となるウィリアム王子を出産、1984年9月15日に第二子となるヘンリー王子を出産、当時皇太子であったチャールズは、公務を減らし家族過ごす時間を大事にしたといいます。

この時期が、暗殺されたのではと言われている、事故死をしてしまったダイアナ妃の一番幸せだったときだと言われています。

実は、次男のヘンリー王子を出産した後、ダイアナ妃とチャールズ皇太子の気持ちの上での愛情は、すっかりと冷めていたといいます。

その後、寝室も別にし、結果的に結婚前から付き合っていたというカミラさんとチャールズ皇太子は付き合うようになったといいます。

そんな日々の中で王子の養育と、慈善事業に情熱を注ぎながら人生をいきていったダイアナ妃、二人の関係に関しては、皇太子のほうがマスコミから批判をされて、ダイアナ妃は有利な立場に立っていました。

その後、1992年12月9日に、夫婦は別々に暮らすことが正式に発表されます。

事故死をしてしまったダイアナ妃は、1993年12月3日に公務から引退することを宣言し、紆余曲折を経て1996年8月28日の離婚確定判決で二人は離婚をしました!

非常に複雑で辛い結婚生活を送っていたというダイアナ妃ですが、彼女自身も、夫との別居後は不倫などをし、それが暴露本になって発表されるというショッキングな出来事にも巻き込まれ、波乱万丈の人生を生きたのです。

なんでも、離婚前にはエリザベス女王に泣いて助けを求めたという情報もありますが、受け付けてもらえなかっといい、当時は過食症でも苦しんでいたといいますから、精神的にかなり辛かったのではないかと推測されます。

そんなダイアナ妃が、暗殺されたとも言われる事故の真相である原因は一体なんだったのでしょうか?

離婚のわずか1年後に事故にあい、結果的に亡くなってしまったダイアナ妃、彼女の死を知ったイギリス国民の多くは「あれは偶然の事故じゃない」と思っていると言われています。

一般的に事故の原因と言われているものは、パパラッチの執拗な追跡だったと言われています!

これが、結果的に事故を引き起こし、ダイアナ妃の命を奪ったといわれていますが、実は真相は暗殺ではないかという噂も根強くあるのです!

イギリス王室という大きな力を持った存在でもありますから、そのような噂が根強くあるのは当然と言えば当然ではありますが、実は、ダイアナ妃との恋愛の暴露本を出版した元騎兵連隊将校であったジェームズヒューイット氏も暗殺されたと言われています。

暗殺ではと言われ、真相がいろいろと噂されているダイアナ妃の事故死の当日の流れをまずはご紹介しておきましょう。

1997年8月31日深夜0時、場所はフランスのパリ、この場所でホテルに恋人と共に宿泊をしていたダイアナ妃は、外に多くのパパラッチがいることを知らされます。

恋人の父親である「モハメド・アルファイド氏」は、息子たちに危険だからホテルの外に出るなと警告しますが、運転手がやってきて「裏口から出られます」と言われ、誘導されるまま車に乗り込んだのです。

0時20分に車でホテルを脱出した二人ですが、スクープを撮りたいパパラッチが執拗にその車を追いかけます!

事故にあった車に乗っていたのは、ダイアナ妃、恋人のアルファイド氏、彼が雇ったボディーガードのトレバー・リース・ジョーンズ、ホテルが手配した車の運転手アンリ・ポールでした。

パパラッチの車を振り切るためにトンネルに入った直後、トンネル内の柱に激突し車は大破、ダイアナ妃は当時いつもなら必ずしていたシートベルトをしていなかったといわれています。

これは、後に元執事だったバレル氏が語った話になります。

しかも、後にダイアナ妃が事故にあった車を調べた結果、トンネル内で他の車と接触した跡が見つかりました。

これが柱に激突した原因と見られていて、接触した車の持ち主はパパラッチのジェームス・アンダンソンで、彼は3年後、何も語ることなく自殺をしたといいますが、この真相は暗殺ではとも言われています。

その後、フランス政府は、この事故の原因を、パパラッチの執拗な追跡のためという最初の発表をひっくり返し、運転手のアンリ・ポールが薬の服用および飲酒をしていたからだと発表。

これは後にフランス政府の捏造であり、暗殺の真相を隠すための言葉であったと言われています。

これが、一般的に言われている、ダイアナ妃の事故の真相&原因だと言われています。

ダイアナ妃の事故の真相は暗殺!?

ここからは、ダイアナ妃の事故の真相は暗殺だったのかどうかといった情報をまとめていきます!

まず、ダイアナ妃は当時どういう状況で生きていたのかを振り返っていきましょう。

離婚した後、この後記事をまとめているパキスタン人の心臓外科医と、エジプト人実業家の「ドディ・アルファイド氏」との熱愛が発覚します!

元プリンセスのスキャンダルですから、マスコミにとってはとても興味深い事実でしたので、パパラッチの報道合戦が加熱していきました。

そして、当時なんとダイアナ妃は妊娠していたと言われていて、そうなるとドディ氏との間の子供であることは濃厚だという情報もあります。

となると、元プリンセスはイスラム教徒の子供を出産することになり、結婚するとなると、彼女自身もイスラム教徒になるということになります。

これにイギリス皇室は震え上がり、未来の国王(ウィリアム王子)の母親がイスラム教徒ということになる事実を前にしてなんらかの策を練ったとイギリス国民もそう考えているようです。

もしそうなれば、イギリス王室にしてみると、カタストロフィー(破滅的な災害、悲劇的な結末)であると考えられています。

暗殺が真相であると言われる理由は、他には次のものがあります。

● ダイアナ妃自身が王家の秘密を数多く知っている
● そして、王家に対する恨みを持っていた
● MI5エージェントのジョン・ホプキンが、瀕死の状態のときに、ダイアナ妃の事故は暗殺であったという真相を告白しているから
● 事故にあう9ヶ月前に、ダイアナ妃は元執事のバレル氏に手紙を送っており、そこには自分の事故を予言する内容が書かれていた
● その手紙には、私の夫によって事故が画策されていると書かれていた
● バレル氏にダイアナ妃は事故が起きないように車の点検を頼んでいた
● バレル氏の話によると、一度だけ女王が私にこう言いました「気をつけなさい。この国では私の知らない勢力が動いている

事故だと処理されてはいますが、国民のほとんどがダイアナ妃は暗殺された、それが真相だと思っています。

調べれば調べるほど、事故でダイアナ妃が亡くなったと思うのはあまりにも短絡すぎると考えられます。

かなり複雑な背景や事情も絡んでいるようですから、一筋縄ではいかない、どうしようもない何らかの陰謀などが背景にあったと考えられますが、結果的に真相は暗殺なのかどうかははっきりと分かりません!

そして、MI5のエージェントのジョン・ホプキンスが語った話には、次のような内容のものもあります。

彼は上司から「エディンバラ公フィリップ王配から直接依頼を受け、彼女は死ぬべきだ、そして事故のように見せかけねばならない」と言われました。

そして、バッキンガム宮殿の厳しい監視下に置かれて運営されている主流メディアと協力をしたと主張!

御存知の通り、MI5は保安局で国内担当、MI6は秘密情報部で国外担当ですから、この場合、MI5がMI6の強力を得て暗殺を実行したのではないかという情報があります。

真相は、これらの組織が動いて、ダイアナ妃が事故を装って暗殺されたという見方が有力となっています。

ダイアナ妃の元恋人は医師?

実は、暗殺されたと言われているダイアナ妃が事故で亡くなったときに一緒に居た恋人と親しくなる前に、離婚した年の話ですが、彼女には医師の恋人がいたと言われています。

パキスタン人の心臓外科医「ハスナット・カーン」で、ダイアナ妃がロンドンの彼の勤務する病院に視察に訪れたときに出会ったといいます。

1996年惹かれ合った二人は、変装し一般市民にまみれてデートをするなどしながら愛を育んでいたといわれています。

そして、事故のときにはドディー・アルファイドが一緒ではありましたが、元執事の証言によると、ダイアナ妃は事故にあう前に、アルファイドからのプロポーズを事前に察知していて事故直前に交わした会話では、「それを受けることは出来ない」と話したという情報があります。

実は、ダイアナ妃の元恋人と言われている医師のハスナット・カーンは、彼女の最愛の人だったと考えられています!

映画「ダイアナ」の中でも、二人の恋物語が描かれていて、本国イギリスでは酷評されたといいます。

アルファイドはダイアナ妃との結婚を真剣に考えていて、父親の証言によると婚約指輪まで用意しており、実は事故にあった車は、その指輪を置いてある自宅へ行く途中であり、もしあのまま何事もなく到着していればプロポーズをされていて、さらに周囲の証言から考えればそのプロポーズは断られて、二人は別れていたと推測するテレビ番組もあります。

しかも、用意していた指輪は高級宝石店「レポシ」の、30万ドルもするものだったと言われています。

モナコ王室御用達の宝石商として知られているオートクチュールジュエラーレポシは、モナカの最高級ホテルエルミタージュに本店があり、日本では楽天でも購入できるという・・・なんともなぁという状態になっていますが、30万ドルは、2017年8月1日のレートで3,333万3,333円になります・・・そうダイアナ妃は3,000万円の指輪を用意されていたのです!

要するに、ダイアナ妃にとって、最愛の人はハスナット・カーンであったため、アルファイドのプロポーズは受ける気持ちはなかったと言われています。

ダイアナ妃の事故後、ロンドンの高等法院で行われた彼女の死因究明審問で、ハスナット・カーンは声明文を提出し、ダイアナ妃との交際の詳細に関して明らかにしました。

この中で、ダイアナ妃はカーン医師を二人の王子に紹介したことを明らかにしており、彼女が自分を裏切るとは考えられないと主張しています。

これらの情報から、最後まで愛していたのはカーン医師だったとも言われていますが、暗殺だったのか真相は分かりませんが、事故で亡くなってしまったダイアナ妃の口から真実が語られることはもうありません。

ダイアナ妃が結果的に暗殺であったのか、単なる事故死だったのかの真相は2017年現在になっても分かりません。

ただ、状況を考えると、暗殺であった可能性はあったとも言える面もあります。

真実は語られることはないのかもしれません、今後実はあの事故は暗殺が真相だったと誰かが発表する可能性もあります。

現在のところは分からないというのが真相でもあります!

そして、イギリス王室の陰謀説などとんでもないという発言をしている人物もいて、真相は墓場まで持っていかなければならないが、絶対にそれはありえないとも言われています。

真相については結果的には分かりませんが、ダイアナ妃は36歳という若さでこの世を去ってしまいました。

残された二人の王子は当時はまだ15歳と12歳でした、思春期に入っていたとはいえ、まだまだ母親の愛を求めている年齢でしたから、とても悲しく、寂しかったのではないかと思うと、胸が張りさけそうになります。

実は、事故の直前に、2人の王子は母親であるダイアナ妃と電話で短い会話を交わしたそうです。

まさかその後、あのような事故に巻き込まれてしまうとは思わず、かなり短い会話で電話を切ったそうですが、王子たちはそれをとても悔いており、死ぬまで後悔するだろうと語っていますから、悲しみは深く、後悔という傷はまだま癒えないようです。

ダイアナ妃のご冥福をお祈りしながら、記事を書き終えたと思います。

今回は、ダイアナ妃の事故の真相は暗殺だったのかといったショッキングな情報をまとめていきました!